Memento mori.
- 作者: 小松秀樹
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 2006/05
- メディア: 単行本
- 購入: 7人 クリック: 180回
- この商品を含むブログ (147件) を見る
虎ノ門病院の泌尿器科の先生が執筆された本。
立ち去り型サボタージュとは勤務医が過酷な勤務に加えて増大する患者の要求に耐えかねて開業医に転向することで、病院に医師がいなくなりつつある現状に強い危機感を表明しています。
以下個人的な内容の整理です。興味ないよという方は飛ばしてください。
■人は必ず死ぬ。医療とは今でも不確実で、人体への侵襲でもある。安全というのは変数でしかなく、安心は死を受け入れた時にしかない。
極当たり前のことですが、日常的に死を目の当たりにしている方からこれを説かれると実感として迫ってきます。しかし検査すらも身体を損なうと断言されると、病院に行くのが恐ろしくなってしまうのですが…。
本の前半は医療が結果のみで論じられ、医師や看護師が医療過誤で告訴されるようになってしまうという恐怖について長く述べられます。それはいくら書いても伝えきれない部分なのでしょう。
思えば自分だってかつては来客に茶托なしでお茶を出したり、電話に出て前の会社名で名乗ったり、違う人の名前で出たこともあるし色々やらかしたもんです(威張ることではない)。事務仕事なら自業自得だけれど、医療関係者として働いていたら自分だって犯罪者だと思うと背筋がゾッとします。
■日本医師会は開業医の利益を代表する団体である
日本医師会はとにかく強力な圧力団体という印象が強かったため医師を守るという点において一枚岩のように考えていましたが、大きな決定権を持つ代議員のうち、勤務医が占める割合は
ごく少なく、発言権はないと言っていいとのこと。
■昭和大学藤が丘病院事件
29歳の女性患者の手術時、誤って膵臓の一部を摘出。その後二度の手術が行われたものの患者は死亡した事件。執刀医など3人が業務上過失致死容疑で起訴されています。医療過誤を刑事事件として争うべきではないとしつつも医師の力量という点で叱責に近い、厳しい言葉が並んでいたのが印象的。それだけこの患者を救えたはずという思いが強かったのかもしれません。
事件当時危険を予見できたかどうかという可能性について「医師である私にも独力で判断できる能力はない」としながらも、いくつか興味深い部分がありました。
99年、NHKスペシャル「エイズ16年ぶりの真実」で対談をした際に郡司氏は責任は認めつつも謝罪はせず「こういう事件はまた起こりますよ」と発言。川田さんは絶句し、「不十分ならまたこういう機会を設けましょうよ」と提案した郡司氏に対し川田さんは「もうないかもしれない」と答えて番組は終わったそうです。
その後、日本エイズ学会のシンポジウム「薬害エイズ問題から見えてくるもの」で6年ぶりに郡司氏と川田さんの顔合わせが実現したのは川田さんの方から郡司氏へ参加を求めたからとのこと。シンポジウムでは、さまざまな立場からの見方はあったものの「産官学(産官医)が癒着してエイズの被害が生まれた」という薬害エイズ神話は間違いであり、そこを乗り越えないと、真実も、今後に役立つ教訓も導き出せないという点では一致したそうです。
安部元教授ほどではなかったかもしれないけれど、当時は郡司氏も人殺し同然に罵られていたように記憶しています。しかし小松氏が郡司氏に直接話を伺った時にはうらみつらみは一切なく、淡々と当時の状況を語った後再発防止策として医学会による再検証と超専門家の育成を強く主張していたそうです。
不毛な地平を手放すことなく耕してきた方々に敬意を表すと同時に自分に何ができるかということを思います。